僕は昔から物音を立てないように、立てないように行動してきた
子供の頃に住んでいた家は木造で僕の部屋は2階にあった
部屋の直下は居間になっており、部屋で普通に歩けば、ドスンドスンと居間に響くようになっていた
だから、極力音を立てないように気をつかった
また隣の部屋は両親の寝室になっていて、1階に行くには両親の寝室の前を通って、階段を降りていかなければならなかった
夜両親も寝静まった後、どうしても喉が渇いて、1階の台所へ降りて
いかねばならないことがある
その時には、別に普通に歩いて
いけばよいのだが、僕は両親に気づかれないように、そうっと忍び足で廊下を進み、階段を降りて行くのであった
木造なので廊下や階段が
ミシッと音をたてるときもあった
その音を立てたくなくて、静かに
床を踏むようにして一歩一歩進むようにしていた
家の中でも外でも、なんでもそうだった
自分がすることは、何かいけないこと、後ろめたいこと、のような気がしてしまい、
気づかれて、両親や友達や 先生から
何をしていたんだ?
どうしてしていたんだ?
と詮索されるのが非常に嫌だった
普通に生活しているだけなので、誰でもがすることのはず
それでも、自分がやるとなると何か後ろめたい感じがして、それをすることを気づかれないようにしたい、という思いが強かった
誰でもそこまで気を使うのか?
と言うとそうでもないでしょう
でも僕の場合は、そうやって家でも学校でも、できる限り目立たずに、皆に気づかれずに生きてきたのです
果たして、それが僕が望んでやってきたことなのかと言うと、そうではないのです
クラスの人気者になっている友達を見れば「羨ましいなあ」という気持ちはあったし、ちょっとは注目されたいと思っている自分もいました
でも気が弱くて自信のない僕は、逆方向の行動をいつも取ってきたのです
お陰で、同窓会に出て25年ぶりに再会した友達に、「こんな人いたっけ?」って言われた時には、目立たずに生きてきたことは成功したんだなと、自分を皮肉くったものです
反面、ちょっと、いや、かなりがっかりしたんですけどね
でもね、
目立たずに生きてきたことは、どちらかと言うとネガティブに捉えがちだけれども、
逆に考えると人に迷惑をかけずに生きてきたと言えるし、人に気を使って生きてきたとも言え、ポジティブにも捉えられるのです
つまり、目立たずに生きることは別に悪いことではないのです
だから、
これからもそういう自分でいたいと思えば、それを認めてあげれば良いし、
もう少し違う人生にしたいと思えば自分を変えて行くことができます
僕は気が弱くて、長い間目立たずに生きてきましたが、笑顔に満ちた人生を歩んでいきたいと思っていたら、メンターに出会い、変わっていくことができました
あなたはどんな人生にしていきますか?